恩師と再会

[url=http://www.umpire-dc.org/uploads/weblogD3_photos/42.jpg][img align=right]http://www.umpire-dc.org/uploads/weblogD3_thumbs/42.jpg[/img][/url]前回の用具販売を、午後2時ぐらいまでした後、すぐに大阪へ。中学校時代の野球部の恩師が出版をされ、そのパーティーに出席してきました。 恩師の名前は、柏原正俊先生(73歳)。生涯を最後まで中学校の現場の教師として過ごされ、ずっ〜と野球部監督をされてきました。初めて見た人は、怖い道の方と思われるでしょう。色黒い顔、ギョロっとした眼、低くしゃがれた声。どうみても先生には見えません。その姿は、年老いた今も変わりません。でもそれを見てなんだか安心したのも不思議な感じです。 大阪ではちょっとした有名な先生で、私も大阪で講習会なんかをさせてもらうと、「内川君、柏原先生の教え子かいな〜。」と幾度となく言われました。たぶんこのブログを見て、「私も柏原先生知ってますよ」という方が必ずおられます。 あまり知られていないかと思いますが、全国で唯一、大阪の中学校の野球部には、「準硬式」を使用している野球部が、私の頃は148校ほどありました。そして、今も88校ほどあるそうです。そして、その準硬式の「聖地」は、当時の日生球場。今はなくなってしまいましたが、夏の日生球場での府下大会を目指して、みんなプレーするのです。私の母校守口第3中学校は、この柏原先生による厳しい練習で、大阪一にも輝いたことのある府下大会常連校なのでした。この柏原先生、実はその中学校準硬式野球の審判部長でもあったので、私がアメリカで現役でいる頃も幾度となく手紙をくれて、励ましてくれたのです。今回出版された本にも、私のことも掲載して頂きました。先生は定年をされてからも、自宅近くの中学校からの要請で、今度は軟式野球部を指導。そして大阪府大会で優勝。348校の頂点に立つという偉業を成し遂げたのです。 柏原先生は、野球だけの人ではないのです。生活指導の先生として、赴任された中学校の生徒たちの問題に、真っ直ぐに向かわれます。ですので、今回の250名参加のパーティも、野球部関係者だけではなく、その生活指導を通して関係のある方たちもたくさん出席されていました。それこそ、「金八先生」や「夜回り先生」が注目されるはるか前から、この柏原先生は、そのようなことを日常の中でされていました。 先生と久し振りに会いましたが、ほんとに相変わらずでした。癌との闘病生活に打ち勝ったと言えども、もう体はボロボロなんですが、あの低くしゃがれた声はそのまま。会場には赴任された学校の方がそれぞれに座っておられ、それぞれのテーブルを回って、それぞれの校歌をみんなで歌うのです。我らが守口3中も、先生方、そして野球部の先輩方とも大きな声で歌いました。これだけ校歌を大きな声で歌ったのはいつ以来なのか憶えていませんが、なんだか胸にこみ上げるものがありました。みんなで歌う校歌はいいですね。先生はそれに応援団ばりのエールを付け加えるのです。倒れないか見ている方が心配でした。先生は、私のことをみんなに紹介してくれて、「大リーグ、大リーグ」と幾度なく、まるで私が大リーグで審判をしたかのような紹介でした(笑)。ただ、最後にみんなの前で一喝、「お前はもっと親のありがたみを知れ!」と言われました(笑)。 パーティの後も、野球部OBの方たちとも、いろいろ昔話に花が咲きました。すごいのは、先生は試合のことをほんとによく憶えておられていることです。「そんな細部まで・・・」というところまでです。 今後も自宅近くの学校の指導に当たられるようです。私は日米のプロ・アマの指導者を数多く見てきました。いろいろな人がいます。でも、この柏原先生に指導してもらえるなら、私は喜んでそのクラブに戻りたいと思います。話し方も、学校の先生には似合わない、ドきつい大阪弁です。「アホ、ボケ、カス!」なんて当たり前。今と言う時代であるならば、間違いなく超問題教師扱いされる破天荒な方ですが、先生は絶対生徒を見捨てません。どんな生徒に対しても親身になってくれます。もうこんな先生は、おらへんやろなあ〜と思いながらの再会でした。私はこの先生が大好きです。 とにかく引き続き、元気に大好きな野球を続けていって欲しいと思います。先生、また電話で話しましょう!1時間のうち、私が話してるのは数分だけですが・・・(笑)。